今回の連載の大まかな流れは、病気が改善されるべき病院でも、改善し様の無い段階にきた患者へのアプローチを知らない医者たちが、ホスピスにいくことが諦めの医療だという誤った認識により、最期まで時間の無い末期がん患者を、「治療」という期待の元に振り回し、結局、病気を治せないと治療者が納得するまでに、時間がかかってしまったという出来事ではないかと思っている。
まだまだ、できることはあるはずと自分に言い聞かせながら、
親父の兄弟さんも交えての介護になってきた。
そして、最期に向かって看病は進んでいく。
看病も佳境に入ってきた。
親父の兄弟さんをホテルに送り届けた後、私は看護婦から言われたとおり、病院に戻ることにした。
そろそろ、山場がきているらしい。
さて、後は親父の兄弟の受け入れとなった。
親父の兄弟は全部で7名。そのうち来られる事になったのは5名だけどそれにプラスご家族ということになる。
東は埼玉から、西は長崎の五島列島まで。そして、対面の日を迎えることになった。
ホスピス病棟は、老人ホームの雰囲気にも似ているんだけど、一般病棟とはまったく雰囲気が違うのである。
当然、入り口には広いロビーがあり、家族が控える控え室があり、クラシックの音楽が流れている。
そして、私の家よりも豪華な調理場も併せて設置されている。
親戚筋に連絡を取ってから、続々と、状況確認の連絡が入ってくるようになった。
そして、親父の幼馴染なども連絡があり、見舞いにいかせてもらいたいとのことだった。
しかし、親父の衰弱は著しく、元気な状態でないことが誰の目から見ても明らかになる。
のこりは、親父を家に連れて帰ってくることが残った。
母のとき、ベッドを家へ借りてきた、兄に頼んで市役所へベッドを借りる手続きをしに行けば
制度が変わって介護保険の認定がないとベッドを借りられなくなっていたのだ。
親父と約束した以上ホスピスには必ず入院させる必要がある。
ここからは、私の人脈をフル活用してなんとしてでも、親父の命あるうちに入院させねばならない。
なので、ここから先は、十分な計画性と慎重に行動しながらも、結論はすぐに出していかないと間に合わない。
とにかく、病状の進行が早いのは明確だった。
この病院の対応のまずさと、親父がまだ病気のことを受け入れ切れていないこと。
このままでは、看病する側もしくは家族が周りに振り回されてしまうのである。どのように打開していくべきか。
がん告知後の父は、日に日に衰弱していた。
食事は食べられないし、モルヒネも利きすぎているせいなのか、意識も朦朧とするらしく、今の時刻さえわからないこともしばしば。
そして、突然怒り出すことも珍しくなくなってきた。
